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クリーブランドの評論家とオーケストラの裁判で考えたこと

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クリーブランドの評論家とオーケストラの裁判で考えたこと

クリーブランドの新聞 The Plain Dealer のクラシック音楽の評論担当が、新聞社とクリーブランド管弦楽団を訴えた裁判は、原告敗訴という結果になりました。

この事件は、長年クリーブランドでクリーブランド管弦楽団のコンサート評を書いてきた Donald Rosenberg 氏が、音楽監督のフランツ・ウェルザー=メストを酷評するコンサート評と彼が音楽監督にふさわしくない人物であるとの記事を書き続けていたところ、クリーブランド管弦楽団が新聞社へ申し入れをし、その後Rosenberg 氏が配置換えされ、楽団のコンサート評の担当からはずされたことから、人事の差別と名誉棄損で訴えたもの。

表現の自由と批評の独立性の問題であるとアメリカ中の評論家が取り上げたこともあり、大きな話題になりました。

ネット上のコメントも様々で、関心の高さをうかがわせます。

裁判で主張された両者の言い分を読んでいると、どうでもよくなってくるのですが、この事件は今のアメリカ社会やアメリカのオーケストラを取り巻く状況をよく反映していると思います。私がこの事件で思ったことは、

Rosenberg 氏が酷評を書き続けたこと

これ自体は氏の信念によるものであり、何ら非難されるべきものではないと思います。問題はThe Plain Dealer がクリーブランド唯一の日刊紙であり、影響力が大きい唯一の批評であったこと。もし新聞が3紙くらいあって、ウェルザー=メストを評価する記事と両方があったら、Rosenberg 氏が書いた記事の役割は全く違うものになっていたはずですし、今回のような目にも遭わなかったのでは。新聞でなくともブログでも、対抗言論があることが重要なのだと思います。

新聞社が配置換えをしたことについて

新聞社は人事上の理由であると主張し、それが認められました。Rosenberg 氏側もそのような言論を守る立場を貫かない新聞社は辞めて、他で自己の信念に基づいて活動するという選択肢が本来ならばあったはず。ところが、現状の新聞社の窮状では転職できる新聞社もないでしょうし、独立して音楽評論家として活動していくこともおそらく困難でしょう。メディアの現状も影響していると思います。

クリーブランド管弦楽団のとった行動は正しかったのだろうか?

クリーブランドは人口がピーク時の半分の50万人弱に減り、全米で最も貧しい都市に選ばれるなど、非常に厳しい条件の都市。クリーブランド管弦楽団もそんな厳しい経営環境ながら、都市の誇りとプライドをかけて活路を見出そうとしているときに、酷評ばかりを書かれたら?これがもしサンフランシスコで都市の誇りがオーケストラ以外にもいっぱいあって、厳しい経営状況にもないSFSのMTTを批判していたとしたらと考えると、クリーブランドが特殊事情だったということがよくわかる。ただ、PR担当がRosenberg 氏とうまくコミュニケーションをとり、建設的な方向にもっていくことは、やり方次第でできたのかもしれないとは思います。

ウェルザー=メスト

問題になったスイスの雑誌のインタビューで語った内容について、意図を弁解したり、翻訳にも問題があったりでしたが、私はおそらく本音がつい出たのだろうと思います。ヨーロッパでドイツ語で言ってもアメリカには伝わらないと思ったのだろうけれど、このインターネットの世の中、情報は瞬時に世界に広がる。しかもドイツ語と英語間は自動翻訳でも日本語の場合などと比べてもずっと精度が高い。エッシェンバッハもドイツでフィラ管のことをボロクソ言っていたけれど、アメリカでしっかり読まれていましたし、アーティストの人は気をつけた方がいいと思う。

最後に、ニューヨーク・タイムズにあったこれまでのコメントの中で、私の目に止まった意見を紹介します。

(今回のようなことで評論が機能しなくなり)アーティストの評価がマーケティングやお金の投入で決まるようになったら、クラシック音楽自体が衰退する

 

ニューヨーク・タイムズの記事
Cleveland Critic Loses in Suit Over Job Change
By DANIEL J. WAKIN
Published: August 6, 2010

(2010.8.10)

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