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SFSアジアツアー下見シリーズ:北京の国家大劇院

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SFSアジアツアー下見シリーズ:北京の国家大劇院

2012年11月のティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団アジアツアーに向け、訪問地のコンサート事情を探るシリーズの後編。北京の国家大劇院に行って来ました。

どんな建物なのか興味津々。池の中に浮かんでいるかのよう。

国家大劇院

国家大劇院

国家大劇院

入口で手荷物検査(空港にあるような機械を通す)があり、カメラを預けさせられてしまいました。よって、ホワイエの写真を撮ることができず。池の下を通ってホールに行くようになっているのですが、天井がガラス張りになっていて、水がキラキラ光るのです。水族館のよう。そこを通り抜けると、ドームの屋根が広がる空間。ものすごいスケールです。さらにエスカレーターを上がって、しばらく歩いてホールに着く。だから開演時間ギリギリに行くのはとても危険。

ユンディ・リのピアノ・リサイタル

聴きに行ったのは、ユンディ・リのピアノ・リサイタル。生で聴くのは初めてでしたし、ラン・ランの自伝を読んだとき、中国はコンクール至上主義で、ユンディは英雄だという話が書いてあったので、聴衆の反応がどんななのかにも非常に興味がありました。

プログラム

(前半)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 作品13「悲愴」
伝統的な中国作品:5つの雲南の民俗歌曲
京劇「皮黄」
「彩雲追月」
「在那遥元(しんにょうがつく字)的地方」

(後半)
ショパン:夜想曲 作品9-1、9-2、48-1
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 作品35

 

私は入口の検問で引っ掛かり、正直にカメラを預けましたが、こちらの人は抜け道(?)を知っているようで、ユンディ登場に写真撮りまくり、フラッシュ光りまくり。ここでも係員が赤いペンライトのようなものを照射して注意していましたが、モグラたたきのよう。

ザワザワとおしゃべりの声がしているところへ、「ガーン」と悲愴の最初の和音が響く。その後もさみだれ式に遅れてやって来る人、おしゃべりの声、携帯電話の着信音、カメラのシャッターを切る音。そして楽章の合間に立ち上がって移動しようとする人。

コンサートホールは本格的かつ豪華なもので、上海でのコンサートのように演奏をマイクで拡声してはいませんでした(テレビの収録はあり)。

ユンディの演奏は、録音聴いて予想していた通りでした。ソナタのような様式感が求められるものよりも、中国作品やノクターンのように自由に詩情を表現できる曲の方に良さが出る。このコンサートホールのピアノは、中国が国家の威信をかけて特注したものなのでしょうか?一般的なコンサートホールのスタインウェイよりも、さらにさらに輪をかけてきらびやかな音(ユンディの腕によるのかもしれませんが)でした。

中国作品は、中国人なら誰でも知っている曲が素材だったそう。編曲は、ドビュッシーから不協和音を抜いて、中国風味をプラスして超絶技巧にした感じ。

ユンディと言えば、ショパン・コンクール(2000年)のときテレビで見た「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」(だったと思う)を弾いていた姿が印象に残っています。中国の聴衆は、演奏が始まる前や終わった直後の反応は比較的おとなしいのですが、いったん引っこんで再登場したとき、とても大きな歓声でした。

ピアノの勉強をしていると思しき若い女性やお母さんに連れられた男の子もたくさん来ていました。

クラシック音楽のコンサートは静かに聴くと誰が決めた?

今回初めて中国でクラシック音楽のコンサートを体験し、聴衆がはなから「静かに聴く」ものだと思っていない状態を体験し、非常に考えさせられました。

なぜ静かに聴かなければならないのか?

あらためて考えてみると、今までそれがあたり前だと思っていただけで、もしかしたら絶対的なものではないのかもしれないという気がしてくる。

音楽の聴き方にしても、私は自分が今まで聴いてきたものや勉強してきたことなどの集積からなるリスニング・ポイントがたくさんあって、それらの座標軸の中で演奏を捉えて聴いていますが、中国の観客はそういう聴き方ではない。彼らはいきなり音楽と対峙しているようだし、それゆえに自由でもあるのです。

そして彼らは人数の上で圧倒的にマジョリティ。

クラシック音楽をどう聴くかということが、中国を震源に大きく変わっていくのではないかと私は思いました。彼らが西洋音楽の伝統に従うのではなく、伝統の側が彼らと折り合いをつける方向に動くのではないでしょうか。

世界から中国目がけてやって来る

そう感じた理由は、ヨーロッパやアメリカのクラシック音楽業界が中国目がけてやって来る勢いのすごさを目の当たりにしたから。

最近見かけなくて、「そう言えばあの人、どうしているんだろう?」と思っていたアーティストのコンサートのポスターもいくつも見ました。「ここにいましたか」という感じ。

中国マーケットの潜在力を前にしたら、アーティストの側はもはや「静かに聴け」と強く要求したり、演奏中の物音に「キーッ」となったりしていられない。

マーケットの力恐るべし。

そういう意味でも、MTTが北京でどうふるまうかは見ものかもしれません。日本から行く場合のネックは、チケット購入。あらかじめ購入する場合、ボックス・オフィスに取り置きができず、中国国内の住所に郵送する必要があるようなのです。これに関しては、何かやり方が見つかったら追記します。

(2012.5.2)

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