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ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の「悲劇的」

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ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の「悲劇的」

ウィーン芸術週間2011に参加したティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団。3日目のプログラムは、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」。

2001年にMTT/SFSコンビがこの曲を録音する前日に911が起き、そのときの演奏が強烈な思い出としてサンフランシスコでは語られており、以来彼らがこの曲を演奏することはありませんでした。今回ツアーで披露することになり準備していたところ、ウサマ・ビンラディンが亡くなった。

何か因縁めいたものを感じさせます。

当然私も生の演奏を聴くのは初めて。果たしてどんな風に聴こえるのか?会場には、マーラーの孫娘のマリーナ・マーラーもイタリアから駆けつけてくれてコンサート開始。

マーラー 交響曲第6番「悲劇的」

1楽章出だしの低弦は、非常に重量があり鮮烈でした。CDのあの音は「録音とオーディオの力ではなかった!」。

ティルソン・トーマスはものすごい集中力で渾身のエネルギーが全身からあふれ出てくるような様子。こんなMTTを見たのは千人の録音の日以来かもしれないと思いました。

音楽は振幅が非常に大きいのが特徴。アンサンブルも危なげなし。

1楽章はあまりの集中度に私はずっと目を見開いた状態。楽章の最後もこれ以上ないくらい決まっていました。

2楽章(スケルツオ―アンダンテの順)。もっとアクの強い表現をしてくるかと予想していましたが、ひねりのあまりない素直な演奏でした。低音がうごめいている感じはよく出ていました。

3楽章は期待どおりでした。弦の歌い上げが極上の美でしたし、途中の劇的な部分は、明らかにそこから世界が変わることを見せる構成になっていました。

ティルソン・トーマスは3楽章を指揮棒なしで手振り。指揮台横に水をセットし、楽章が終わる度に飲んでいました(復活の日も)。

そして4楽章。彼らの録音は冒頭のカウベルがそれは見事に入っているのですが、やはり実演では、カウベルに録音ほどの細かいニュアンスは感じなかったです。

しかしMTTの音楽づくりで重要な天上の音を担当するメンバー(グロッケンシュピール、ハープ等)は期待どおりの活躍でした。アンサンブルとバランス、きらきらした輝きが見事な対比になっていたと思います。

4楽章は、ストレートなつくりで、ずっとパワフルな演奏が続いていました。私にはtoo loud。そして一番感じたことは、「全体に粗い」。

MTTを見ていて思ったのは、彼は右左右左やっているけれども(正確には左→右の順)、今日の1楽章のように振幅の幅を示すために右左やっているのは問題ないが、一般的に右左やりながら振っているときは要注意だということ。これはこれまで見てきた中で発見した法則(?)なのでたぶん間違いない。

ハンマーは2回。どちらも音質・効果ともにバッチリでした。

最後も非常に劇的な瞬間が形成されていました。会場の観客はこれまでの3日間で一番沸いていたと思います。MTTは曲が終わってしばらくの間、譜面台に両手をついたまま動けない様子でした。

私の感想は、1・3楽章は文句なしに素晴らしかった。2・4楽章はもっとやれる余地があったかなというもの。彼らの精度で演奏するには本当に準備が必要で、「復活」やベルクは昨年のツアーでも取り上げて準備があったこと、ベートーヴェンも最近録音で集中的にやっていたのに対し、6番は細部まできっちり詰めきる時間がなく、パワーでがんばろうとしたのでしょう。

ティルソン・トーマスは自らの本「Viva Voce」で6番の曲の準備をしていると、夜眠れなくなり、食欲が減って体重が減る。それくらい6番と向き合うことは重いと語っていましたが、ツアーでは夜眠れないとか食欲がないとか言っていられないでしょうから、やはりアウトプットに差が出るのではないかと思いました。

それでも渾身の力を振り絞っていましたし、オーケストラも軽微なミスが1~2か所あったくらいで弾き切って、世間一般の基準からしたら文句ない出来だったと思います。舞台からはけるとき、パート毎にメンバーが集まって称え合っていたことからもそれは窺えました。

ウィーン公演はあっという間に3公演が終わり、残すは9番のみ。がんばってほしいです。

(2011.5.23)

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